君が笑えば 世界は輝く

世界一素敵な、あなた達へ。

Bon Voyage

はじめて見た嵐はたぶん2009年の紅白歌合戦

 

 

 

民放のテレビを見るのは許されてなかった家庭だったので。

 

小学校2年生の冬にたぶん紅白ではじめて嵐を見たんだと思う

 

 

 

でも嵐の名前は知ってた。どこで知ったんだろ。学校の友達かな。

 

「あ、嵐だ!」って兄貴がテレビに向かって行って

「あー、最近よく見るよね」ってお母さんが言って

 

どこにでもありそうな年末の家族の会話

 

 

でも正直この時は見ただけだった。これが嵐かー。って。

 

 

 

 

次の年。兄貴の反抗期突入がきっかけで民放のテレビが私たち兄妹に解禁された。

 

 

兄貴は、特上カバチの話を私にたくさんしてきたけど、なんの話かは小学2年生の私にはよくわかってなかった

 

 

だからたぶん嵐を好きになったのは兄貴の方が先だった。

 

 

いまだに覚えてる。

 

特上カバチの歌やるんだよ!」って夕飯見ながら見たミュージックステーション

 

TroubleMakerを踊る5人

 

でもね、翔くんはバンクーバー五輪のレポート欠席で。合成での出演で笑

 

 

でもここで、初めて好きって感情が覚えた。

 

 

「色とりどりのマスクかぶって」

のパートをなぜか気に入って

 

何回も何回も歌った。サビじゃないんかいって話だけど笑

 

 

 

 

そして次クールの怪物くんは私にとって忘れられないドラマになった

 

毎週本当に眠れないほど楽しみで、怪物くんのことも他の登場人物のことも大好きになった。

 

智くんのことをずっと怪物くん!ってよんでた。Monsterのソロをずっと真似してた。

 

この頃嵐にしやがれが始まって、VS嵐ひみつの嵐ちゃんを含め毎週嵐のことを見出した。ひみつの嵐ちゃん嵐にしやがれは時間が遅くて、リアルタイムでは結局ずっと見させてもらえなかった。

 

土曜日野球の練習から帰ってきて録画してた2つの番組を見るのが楽しかった

 

 

この頃から嵐だったらニノが好き!と言い始めたと思う。バラエティでの立ち振る舞いとか賢そうなところが好きだったのかな。明確な理由は思い出せないけど、きっとそう。

 

 

 

 

 

 

DearSnowを歌う5人を見て、はじめてCDを欲しいと思った。

 

兄に割り勘を提案したけど、当時他のアーティストを応援していた兄には断られた。

 

 

来年の誕生日プレゼントは要らないからって親に交渉して、1000円をもらった。貯めていたお金と合わせたらシングル1枚分を買えるお金があった。

 

駅前のCDショップにはピアノの楽譜しか買いにきたことがなくて、店頭に並ぶ嵐のCDに胸が躍った。

 

 

家に着くまで待ちきれなくて、途中で袋を開けた。

 

Dear Snow」の通常盤。

 

車の中で「あんた嵐そんなに好きなの?」って母に聞かれて、「うん、嵐大好き。ニノかっこいい!」って会話をしたのを覚えている

 

 

 

 

 

 

小学3年生。

東日本大震災で、ずっと目標にしていたピアノの発表会が中止になった。

 

ショックだった。あまりにも落ち込む私を見かねた母が、嵐のDVD買ってあげると言ってくれた。

 

僕の見ている風景in国立」

 

 

 

衝撃を受けた

 

 

こんなに夢のような世界がこの世に存在するのか。して良いのか。ここにはどうやったら行けるんだろう。

 

そんな思いが頭の中をぐるぐると回って。でも、この時はまだ夢の中のような話だった。

 

 

 

 

 

 

小学5年生。

 

学校にほとんど行かなかった1年だった。

辛くてしんどかった。

 

でも嵐はずっとそばにいてくれた。

嵐だけはずっと変わらずに、いてくれた。

ジャニーズに没頭してる時だけは、心から笑えていた気がした。

カウンセラーの先生に「嵐のことを話すとき、目がキラキラしてるね。」と言われた。

 

 

私にとって嵐は、ずっとキラキラした目で話すもの。今でも変わらないと思う。

 

 

 

 

 

2013年1月。

人生で大きな決断をした。

一人で海外に渡る選択をした。

 

 

「半年オーストラリアで頑張れたら、ジャニーズのファンクラブに入りたい」と父親に言った。

 

父親は快諾してくれ、入会方法を調べてくれた。

 

 

 

 

 

 

英語だらけの環境に一人で放り出された11歳。

 

何回も何でこんなところ来ちゃったんだろうって思った。

 

 

だけど、嵐のCDもDVDもいつでも近くにあった。

寂しかった。ホームシックだった。

だけど、何回も聞いているはずの嵐の曲も、何回も見ているはずのコンサートのDVDも全部が背中を押してくれている曲に聞こえ、勇気が出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて申し込んだコンサートは「LOVE」

 

外れた。

 

 

 

 

 

 

 

だから次の年、東京公演と比べて倍率が低そうで、オーストラリアの学校休みとかぶっていた札幌公演を申し込んだ

 

 

 

当たった。

 

 

 

大騒ぎで、学校の寮中を走りまわった

 

 

 

 

札幌は大雪で、コンサート会場に着くまでに4回転んだ笑

 

 

一緒に来た父親は、意外と乗り気で「嵐、生で見るのなんてはじめてだよ〜」なんて笑ってた。

 

 

 

 

初めてのデジうちわ。初めての嵐のコンサート。

 

 

 

5人はとにかく眩しかった

 

 

 

嵐、マジで生きてる....!っていうのがまず思い浮かんだ感情で笑

 

 

コンサートは全てが幻みたいだった。

 

 

夢じゃなかったよね...って帰りの飛行機で父親に聞いた。

 

今でもあの瞬間は夢だった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年の半分以上を海外で過ごしていたこの7年。

 

 

嵐の全てを見てこれた気は全くしていない。

 

 

 

 

ドラマもバラエティも見逃していたものが多い。

 

コンサートだって片手で数えられる回数ほどしか行っていない。それすらも幸運だったと思うけれど。

 

 

 

 

だけど、日本に帰国すると、当たり前かのように街中には嵐のメンバーの広告があった。

 

テレビをつければ5人がいた

 

CMも雑誌も5人で溢れていた。

 

 

 

 

 

 

それに私は「日本」を感じた。

帰ってきたんだなって。嵐が当たり前のようにいる日常に帰ってきたんだなってその度に思った。

 

 

 

 

 

 

2019年1月27日

 

学校の新学期でちょうど日本からオーストラリアに着いた日だった。

 

学校の寮で高校3年生になる期待と不安で押しつぶされそうになっていたときに見た一報に目を疑った

 

 

 

ありえないと思った。

 

 

嵐がいない人生などありえない。あってはいけない。どうして。

 

 

そんな気持ちだった。

 

受け止めきれず、受験生の1年が始まった。

 

 

 

 

 

 

2019年の4月。ナゴヤドーム。嵐を通して知り合った大切なお友達と見た私にとって最後の生での嵐は

 

 

驚くほどいつもの嵐だった。

 

 

 

それになぜか安心して、その時初めて5人の覚悟と決断を受け入れることができたのだと思う。

 

私は結局、休止発表をしたことで、嵐が変わってしまうのではないかと不安だったのかもしれない。

 

 

 

 

でもこの2年間。

 

いや、私が見てきた11年間。

 

 

 

嵐はいつでも嵐だった。

 

 

 

 

5人は嵐の大野智櫻井翔相葉雅紀二宮和也松本潤だった。ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

休止前、最後の日。

 

 

 

 

私はオーストラリアにいる。

 

 

 

 

 

嵐がいなかったら、たぶん私は今日この日を遠い海外で迎えることはなかったと思う。

 

 

 

 

 

 

そしてたぶんこれからも自分自身が納得して歩ける人生を切り開いていくパワーを、嵐からもらうと思う。

 

 

 

 

この先の人生、もう一度嵐に会える保証はないけれど、だけどそれでも良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5人の旅だって終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、最後じゃないけど

 

私の背中を押して、世界に旅立たせてくれた5人にこの言葉を送らせてください。

 

 

 

 

 

 

 

5人の旅が良いもので、幸運や笑顔に溢れ、安全で健康なものでありますように。

 

 

 

 

 

 

素敵な旅を!!!!

 

 

 

 

 

Bon Voyage.

 

 

 

2020.12.31